完全に調子に乗っているようにしか見えない

日本保守党による告訴・訴状の動きは、もはや「権利行使」の域を超え、言論空間そのものを冷え込ませる装置として機能し始めている。
実際、批判的な動画を出していたユーチューバーたちは次々と
・動画削除
・チャンネル沈黙
・政治ネタから撤退
へと追い込まれている。
これは偶然か?
それとも「見せしめ効果」を狙った結果なのか?

少なくとも外から見れば、
国政政党が“訴訟カード”を振り回し、弱い個人を黙らせている構図にしか映らない。
ここまで来ると「完全に調子に乗っている」という評価が出ても不思議ではない。
国政政党が批判者を訴えることは本当に良いことなのか
政党は批判されてナンボの存在だ。
批判を受け、説明し、反論し、それでも支持を得てこそ政治勢力と言える。
それを
「気に入らない言論は法廷へ」
「名前を出したら訴えるぞ」
という姿勢で封じるなら、それは民主主義ではなく威圧政治だ。
国政政党が個人を相手に訴訟を起こす時点で、
すでに力関係は決定的に偏っている。
この行為が
・健全な批判を守るのか
・それとも萎縮と言論自粛を生むのか
答えは、すでにユーチューバーたちの沈黙が物語っている。
恫喝と受け取られても仕方がない百田と有本の言動
百田尚樹氏と有本香氏の発信は、もはや「強い言論」を超え、
恫喝と受け取られても仕方がないレベルに達しているという指摘が後を絶たない。
・訴訟をちらつかせる
・相手を名指しで追い詰める
・「逃げるな」「覚悟しろ」と煽る
これが一般人に向けられたとき、
「対等な議論」だと感じる人がどれほどいるだろうか。
恐怖で黙らせた沈黙は、賛同ではない。
それはただの萎縮だ。
福永弁護士とタッグを組む日本保守党
「Bですか、やりましょう」の危うさ
福永弁護士と組み、法的対応を前面に出す日本保守党の姿勢は、
支持者以外から見ると、対話を放棄し、敵を潰す政党に映る。
「Bですか、やりましょう」
この言葉に象徴されるのは、
冷静な法治主義ではなく、喧嘩上等の政治スタイルだ。
だが、政治は格闘技ではない。
言論で勝てない相手を、訴訟で黙らせることに何の正義があるのか。
福永弁護士はまっとうか
それとも“黙らせ屋”に見えてしまうのか
福永弁護士が法的に「まっとう」かどうかを断定することはできない。
しかし問題は見え方だ,結果として。
・言論が消え
・批判が止まり
・恐怖だけが残る
この状況を作り出している時点で、
「正義の弁護士」ではなく「黙らせる役割」に見えてしまうのは避けられない。
法は本来、弱者を守るためにある。
それが強者の武器になった瞬間、法の信頼は失われる。
まとめ
日本保守党は「保守」ではなく「威圧政党」になりつつある
日本保守党の一連の行動は、
・保守でも
・愛国でも
・言論重視でもなく
「逆らう者は許さない政党」という印象を強めている。
批判を訴訟で封じる政治に、未来はない。
沈黙させた先にあるのは支持ではなく、不信と反発だ。
本当に強い政治とは、
批判を浴びてもなお、言葉で勝ち続ける政治である。
今の日本保守党は、その道から明確に外れ始めているように見える。

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