卓球女子日本のエースと言われた福原愛16日、父・武彦さんが6日にすい臓がんのため、亡くなっていた71歳だった福原愛ちゃんは東アジア大会が開催された中国の天津で訃報を知ったという。
武彦氏は08年ごろまで福原のマネジメントを担当していましたが「08年の終わりごろを最後に一度も会っていない状態にありました以降は電話やメールでのやりとりも一度もない関係となりました」絶縁状態になっていたことを明らかにしていました。
福原愛の父親武彦さんの苦悩
福原愛の父は福原武彦さん、1990年から仙台で不動産会社を経営し、家族を支えました、愛ちゃんの練習環境を整えるため他県に渡り拠点を移し、専用卓球場も所有し卓球王国である中国出身のコーチも招くなど、自営業とはいえ資金は容易ではなかったでしょう武彦さんの苦悩は愛ちゃんのためだったようです。
経営がうまくいかない苦悩も相当なものでした、武彦さんの負債は膨れ上がりました、やがて国民的アイドルに成長した愛ちゃんが、CMやバラエティ番組に出演し稼いでも、会社の経営は好転せず、結局は倒産の憂きに。債権者から家族を守るため、武彦さんは離婚し、自己破産をしました。
父親武彦氏と確執
この頃は愛ちゃんも道理が分かる年齢です武彦さんは、感情面でも愛ちゃんとうまくいけなく成りましたお父さんは幼い頃から愛ちゃんのマネジメントを手掛けていましたが、卓球の経験がないので意見の相違が出る事は当然でした。
2008年の北京五輪でメダルを逃した頃から、父娘の関係は悪化し、2008年の年末を最後に父娘が会う事はなくなりました。
武彦さんは晩年、秋田県湯沢市の会社に勤務し、平穏な日々を送っていましたが、やがて病魔が襲い2013年10月、武彦さんは肝臓がんのため、秋田県の病院で亡くなりました。享年71歳。愛ちゃんに見送られることはありませんでした。
愛ちゃんは、父の訃報に接し、 父がいなければ、私は生まれてくることもなかったですし、今の成長した私があるのも、多くの方々が応援してくださる環境があることも、父の応援と感謝の念を、コメントしています。
人生は皮肉にもリオ五輪のメダル獲得を武彦さんは見る事はありませんでした。また千代さんもマスコミ報道を気になさっているのか見かけることもなくなりました以上の事からメダリストやプロ選手を育てる家庭には必ずなにかの苦悩がつきものと認識するべきでしょう。
国民的スター福原愛と母千代さん
福原愛の母の名前は千代さん(65)千代さんは卓球経験者であり、3歳で卓球を始めた愛ちゃんに、卓球を教えたコーチでもありました。
1日に4~5時間と言われる猛特訓は千代さんは有る意味苦悩だったと推測します、小学6年の全日本選手権を最後まで続きました、愛ちゃんと言えば「泣き虫愛ちゃん」。泣きながら卓球台に立つ向かう愛ちゃんと、厳しい指導する、千代さんの姿を記憶している人々も多くいるでしょう。
おわりに
福原家はすべてを愛ちゃんんにかけたのです、千代さんは、栄養面でも愛ちゃんの活躍を支えました。愛ちゃんは、大きな大会が始まると緊張と疲れから食が進まなくなり痩せてしまうために、大会前は体重を増やして臨むことが有るそうです。
千代さんは60を過ぎて、調理師の学校に通いました、これも大会や帰国時、娘に差し入れる弁当の栄養知識を増やすためでした。
千代さんは愛ちゃんに勉強を教えるときは答えを先に明かしたそうです考えさせたのは「過程」であり、どう答えを導くのかを大切にしてきました長年、愛ちゃんに課せられていた問いの答えは「五輪のメダル」と言う事だったのでしょう。