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美しすぎる!石川佳純にネットは女優なのモデルなのと騒ぐ!

石川佳純は日本卓球女子選手、1993年2月23日(29歳)ロンドン五輪では第4シードとして3回戦から登場し、カンビン・リ(オーストリア)を4-2で下すと、4回戦はチェン・リー(ポーランド)を4-1で、準々決勝は王越古(シンガポール)を4-1で破って、オリンピックのシングルスで日本勢男女通じて初めての準決勝進出を達成に貢献した卓球女子選手。

メダルを賭けた準決勝は第2シードの李暁霞(中国)に1-4で、3位決定戦は馮天薇(シンガポール)に0-4で敗れて獲得はならなかったが、日本勢史上最高の4位入賞。続く福原愛、平野早矢香とともに出場した団体では準決勝でシンガポールを破り、決勝で中国に敗れたものの2位となり卓球界初のオリンピックメダルとなる銀メダルを獲得した、福原愛のカスミちゃんの呼び声がとても懐かしい。

石川佳純がモデルになった?

石川佳純美しすぎる

石川佳純が言うにはうまくいかなかったので、インタビューに集中することにし、他のことはあまりしようとしませんでしたと、コメントしましたが石川佳純の白のコーディネートは女優にもモデルにも匹敵する。

中国のソーシャルメディアに、卓球や「中国のスター」現象について、自分たちの、それほどでもないコメントを書き込む人が出てきたのは、これが初めてではないのです、7月ファンがマイクロブログ・プラットフォームの微博に自分の写真を投稿し、”私は中国のスターではないが、それを証明する必要はない “という皮肉めいたキャプションを添えたのです。

石川佳純非難したユーザー

当時、一部のネットユーザーは彼女を偽外国人だと非難し、「スターの座」は演技に過ぎないとの憶測も流れた、スターならでの宿命なのでしょう。

中国のファンも同誌のインタビューに同じような反応を示した”スターなら卓球をすればいいと思う “という書き込みもあった他のケースでは、「中国のスター」現象はもう少し微妙で、おそらくもう少しユーモラスであったと石川佳純はコメントした。

“石川佳純はなぜスターのふりをするんだ?スターになるのは当たり前じゃない、「あなたはただ良い女優だ」と別の意見のユーザーは書き込んでいる。

石川佳純と中国女性選手

数年前、ある人気観光会社が撮影した写真に、卓球コートの前でポーズをとる若い中国人女性2人組が写っていた。この国版ウサイン・ボルトも卓球のスターである、一部の中国のネットユーザーも「中国のスター」現象に取り込まれ美しく見せる為か、精巧にフォトショップで加工した画像を作り始めているほどだった、中国卓球は、世界のトップ卓球選手の「トップ10」リストも発表している。

投稿は100万人以上に見られた

WeiboやWeChatでもシェアされ「家に帰ったら、たくさんの人が私にメッセージを送ってくれとても緊張したし怖かった。

とてもエキサイティングで、たくさんの応援をもらって本当にうれしいです」と石川佳純はコメントした”モデルとしてオリンピックに行きたかったが、全国にモデルとしデビューもあるかもしれません。

ネット上で注目されるようになり、たくさんの企業から彼女の写真を使用したいと連絡があったそうです。

当時は石川佳純「まだ15歳の女の子なのに、こんなに注目されるなんて……と、本当に驚きましたと言う、今は本当に幸せで、もう止まりたくないです。”女性として初めてオリンピックで卓球をした少女は、再び国際舞台へと戻ってきた石川佳純の活躍を期待している。

おわりに石川佳純引退発表

こんにちは。本日は皆様にご報告があります。

私、石川佳純は、4月のWTTチャンピオンズ・マカオ大会をもちまして現役を引退することを決めました。

最後の試合まで、これまで通りに集中し全力で戦う為に、事前にお伝えすることができませんでした。

今年に入ってからは、大会毎に「この試合が最後になるかもしれない」と思いながら臨み、今、自分の中ではやり切ったという思いが強く、引退を決意した次第です。

7歳で卓球を始めた私の。現役生活23年間にはたくさんの素晴らしい経験がありました、オリンピックではロンドンから3大会連続でのメダル獲得。全日本選手権では5度の優勝。

そして混合ダブルスでの世界一、他にも思い出深い試合はたくさんあります。14歳から日本代表として国際大会に参加させていただき、長い間、世界のトップレベルで戦ったこと、たくさんの夢を叶えられたことを幸せに思います。

現役生活が長くなればなるほど、周りのサポートがあっての自分だという思いまが大きくなりました。

指導いただいたコーチ、トレーナー。長時間の練習に付き合ってくれた練習相手の方々、友人、そして家族。同じ気持ちで戦ってくれた私のチームに、心から感謝を伝えたいです。