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杉原千畝の「命のビザ」は日本人の誇り

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第二次世界大戦中に駐リトアニア領事代理としてナチス・ドイツの迫害を受けたユダヤ人を救うため「命のビザ」を日本外務省の許可なしでビザを発給し続けた杉原千畝が7月29日のグーグル・ドゥードゥル(Google Doodle)に選ばれましたのです。

ドゥードゥル(Google Doodle)とは「いたずら書き」の意味ですGOOLE検索エンジンの窓の上に杉原千畝とパスポート「命のビザ」、救われたユダヤ人をデザインしたドゥードゥルが登場しました。


日本外務省の命令にそもむいて書いた「命のビザ」に感謝した杉原千畝を回想するものと考えています。

「杉原千畝を称えて」と題したドゥードゥルのアーカイブには「他に方法はありませんでした」第二次世界大戦の勃発直前にリトアニアに駐在していた外交官、 杉原は何千人ものユダヤ人に通過ビザを発給し始めました。

ユダヤ人が日本を経由して逃げるのを手伝うためです、上司の命令にそもむいて「命のビザ」発行し続けました、杉原千畝はビザ発行は「人道上の問題だと言ったのです」

その時、杉原千畝は仕事を失うかどうかは気にしませんでした。ユダヤ人の家族が公邸の外に並び始めるとすぐに、日本を経由してオランダのキュラソー島に安全に移動できることを彼らに認めるビザ発給の許可を請訓する公電を外務省に送るが全て駄目でした。

「日本の次に行く国のビザのない旅行者には絶対に発給されない」と外務省からの公電には記されていました。しかも例外はないとも指示されたのです。

杉原千畝は自分の良心と問答した結果

結果を恐れずに昼も夜も何千ものビザを書き続けました。「指にタコができ、手首から肩まですべての関節が痛くなるまで」書き続けたのです、杉原の妻もリスクを伴う夫の決断を支持し、毎晩、杉原の疲れた手をマッサージしましたと記録されています。

列車がリトアニアを離れる最後の瞬間までビザを書き続け、プラットホームでもユダヤ人にビザを発給しました。「命のビザ」を発給されたユダヤ人の人々はシベリア鉄道で極東ウラジオストクに輸送されたのです。

米国のユダヤ人協会から依頼されたジャパン・ツーリスト・ビューローがユダヤ人を「天草丸」でウラジオストクから福井県敦賀まで運んだのです。このあとユダヤ人は米国などの受入国に渡るまで神戸や横浜で過ごしたのです。

日本に帰国した杉原千畝

日本に帰国した杉原は上司の命令にそもむいた為(命のビザ発行)約束された外交官としてのキャリアはクビに成ったのです。

杉原は家族を養っていくのに苦労を余儀なくされたのです、ところが1968年に杉原が救い出したユダヤ人の1人で後にイスラエルの外交官になった人物が彼を見つけ出したのです。

これまでは杉原千畝の犠牲はほとんど知られることはありませんでした、これが知れ渡ってしまいイスラエルのホロコースト記念館に杉原の名誉を称える木が植えられたのです、杉原千畝は「諸国民の中の正義の人」の称号が授けられました。

リトアニアと岐阜県八百津町の記念碑で、日本は何千人もの命を救った杉原と彼の英雄的な努力に敬意を表しています。

おわりに

杉原氏の恩を忘れるな!東日本大震災が起こるとすぐに、世界中のユダヤ人が立ち上がりました、「今こそ、寝食を賭して通過ビザを発給してくれた日本人で有る杉原千畝、の恩義を忘れてはいけない。リトアニアから6,000人ものユダヤ人を救ってくれた杉原夫妻の恩義に報いる時である」

日本への支援を呼び掛けたのです、どれほど多くのユダヤ人がその呼び掛けに応答したことでしょう。

事実、今なおイスラエルから、そしてユダヤ人社会から、被災地への物心両面の支援が贈り続けられています、正に杉原千畝の「命のビザ」は日本人の誇りと思います。

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