ビートたけしのフランス座浅草座キッドが笑える

ビートたけしは浅草フランス座のエレベーターボーから1980年代漫才ブームでコンビ名ツ―ビートとして相方ビートきよしと世に出ました。

当時のピイート武はフランス座のエレベーターボーイズをしていたのです、その後相方ビートきよしと漫才コンビを組んだのです、突っ込むのは先輩芸人のきよしだったのです。

ビートたけし

当時お化け番組と言われた「8時だよ全員集合」は視聴率50%を維持する番組でした、そのおばけ番組を打ち負かしさんはビートたけしがひきいる「オレたちひょうきん族」でした。

その後ビートたけしはテレビ番組をはじめお笑い番組、更に映界にと君臨し芸能界のトップの地位をキープしていました。

今回ビートたけしは体力の限界と人気番組「Nキャス」を降板と発表しました。

ビートたけし浅草フランス座時代

ビートたけしは中央大学工学部を中退し浅草フランス座エレベーターボーイから芸人を目指したのです。

浅草フランス座はストリップ全盛期時代ですビートたけしはストリップの前座として舞台に立つ事に成りました。

ビートたけし出版本「浅草キッド」に登場するルンペンきよしがビートたけしが舞台に立つと(金かへしてくれ)と叫ぶのです、これが客に大受けストリップ前座トークは予定時間を大幅にオーバーしストリップ嬢の入るタライのお湯が冷えるほどでした。

当時のたけしのトークは機関銃のように早く面白かったと言われていますルンペンの(たけ金へせ)はビートたけしの演出だったのかも。

お客に受けたのは違いありませんこの頃から笑いの才能が有った要です。

ビートたけしと母サキ

ビートたけしには家族との逸話が数々ある面白いのは母北野サキさんです。

母北サキさんは大変教育の熱心な母でしたある日北野家の知り合いの方が(お宅の息子さんフランス座にいたよ)と母サキに告げたのです。

サキさんは(家のたけしは今フランスに留学してる)と言ったのです、サキさんはビートたけしがフライデー襲撃で多くのマスコミが北野家に押しかけて来た時です母サキさんは(あのバガは死刑にしてくださいさ)と言たのです。

マスメデヤは大笑いし退散したのです母サキさんの葬儀でビートたけしは泣きながら(母ちゃんに助けられた)と言っていました。

北野家の父菊次郎と姉お話です、ビートたけしの姉がぴーちゃんと名付けた鶏おペットとして飼っていました菊次郎がぴーちゃんをすき焼きにしたのです。

姉は泣きましたしかしすき焼きは食べたと言っていました、しかもお変わりまでしたとビートたけしは言っていました面白い話ですね。

北野武は後に菊次郎の夏と言う映画を撮影しています、ペンキ職人の菊次郎と母サキを描いた面白い作品でした。

漫才ブーム後のビートたけし

漫才ブームが終わり多くの漫才師は消え去りました、ビートたけしは消え去るどころか「オールナイトニッポン」「俺たちひょうきん族」「たけしの天才は元気が出るテレビ」などテレビ朝日 TBS の20時代の最高視聴率をマ―クをしたのです。

しかも企画構成はすべてビートたけしが担当したのです、まさに天才ですね。

映画監督としてのビートたけし

ビートたけしは映画映画にも挑戦しています「その男は凶暴につき」「座頭市」1991年34回ブルーリボン賞お獲得しています作品は「あの夏いちばん静かな海」でした。

映画監督としての北野たけしは日本で評価されていますが海外でも高く評価されています特にフランスです。

北野映画は素晴らしいとあのアランドロンも絶賛しています凄いですね。 

まとめ

浅草フランス座ストリップ前座からスタートした北野武(ビートたけし)は漫才ブームでチャンスを掴み取り常に芸能界トップを走り続けました。

ピンチの時は母サキに助けられ乗り越えました漫才ブーム以降は遺憾なくその天才的な企画力とアイデアで私たちを楽しませてくれました。

ビートたけしは今回「Nキャス」を降板します天才ビートたけしも歳には敵わなかったのか最近少しばかり疲れているなと見ていましたがやはり芸能界第一線を走り続けた疲れが出たのでしょう。 

ビートたけしは今後又何かで私たちを楽しませてくれることでしょう「Nキャス」お疲れ様でした。


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